ordinary

稲刈りあとの静けさ

松田です。久しぶりの投稿になってしまいました。

先日盆を前に仲間の協力のもと無事初めての稲刈りを終えることができました。

収穫は田んぼ二枚で90キロほどでした。

『いっちょ前は自分で米作ってから言え』

屋久島移住前に知り合いのじいちゃんに言われた言葉です。

当時の自分は山のことばかり考えていて、今より自分中心でまったくもって地に足ついていませんでした。

米を作れと言われて20代前半の僕にはまったく意味が分からず反発しました。

だけど不思議とこの言葉は胸の中に居座り続けていました。

だいたい意味もなく反発する言葉は自分の心の糧となる。

僕が屋久島で米作りを始めたのは『縁』による賜物だと思います。

大地や仲間たちと有機的につながり、自然の営みのなかで足るを知り生活する屋久島の先輩たちの姿を見ていると、幼子のいる身故に妻に反対されても米作りに身を置きたいと行動していました。

大地からのギフト、一粒が百粒へ、百粒が万粒へ

一粒が人の縁を結び、稲穂は笑顔と感謝を与えてくれる

炎天下の稲刈りは体のすべてを出し尽くしたかのように堪えましたが、なんともすがすがしい充実感と疲労を得ることができました。

そして偶然にも稲刈りの夜はペルセウス座流星群

誰もいない真夜中の棚田には数時間前が嘘のような静けさと満天の星の輝きが。

稲刈りの『熱』を知るからこそより『静けさ』の気配を感じる。

太陽の熱、機械の熱、人間の熱、想いという名の熱

色んな熱にまみれたあとの台風の後のような静けさ

言葉にできないけれど田んぼが教えてくれたことが凝縮した夜でした。

流星は写真には写らなかったけど思い出に残る夜になりました。

ヒトの営みの風景、ヒトがいるから田んぼはできる。

原生林や海だけが自然じゃなくてヒトの生活が作る自然の風景に心動く。

色んなストーリーが詰まった稲作はきっと人生を豊かにしてくれる。

別に米を作ったから偉くも何ともないんだけれど、作らないと見えない世界はきっとあって、今やっと自分は門の前に立てた気がします

とりあえずは玄米噛みしめて生きていこう

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