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奥岳の冬を生きる木

 

今年の1月はキーンと冷え込んだ日がけっこう続き、冬らしい気温に肩をすぼめる日々でしたが、雪好きの僕としてはワクワクでした。なんといっても島の北東〜南東部にかけての前岳の山々がこれほど冠雪したのはここ10年ではじめてのこと。「奥岳の雪景色より貴重だ!」と脳が反応してしまい、車でいろんな集落に移動しながら写真を撮りまくりました。あと10年はないかもしれない風景だと思うとアドレナリンがでますね。笑 写真の山は明星岳です。

里の雪景色を連発したいところですが、今回の投稿は観光名所である山の中の木々たちがどんな風に冬を過ごしているのかご紹介したいと思います。屋久島の雪山を楽しみにやってくる登山者はまったくといっていいほどいないので、はたして木々たちは人間がこない冬は寂しがっているのでしょうか?

ではでは、冬の木の世界のはじまりはじまり〜

 

 

この御仁は新高塚小屋と平石の間に生きておられます。この区間ではトップクラスに枝振りがすばらしく、枝という枝に雪がつくと、何とも華やかっ! ゴージャスッ!!

 

 

お次は、雪がうっすらとのった杉の老木です。こちらは華やかさはなくても、威厳のあるオーラが半端じゃなかったです。浮気をせずこの場に鎮座し続けていったいどれほどの歳月がたっているのでしょう。時を忘れて、吸い込まれるように見つめてしまいました。

森をぬけて稜線に上がると…

 

 

雪の付着具合がグッと増します。この杉はよく撮影する木で桃平で生きておられます。毎年吹きっさらしで雪に包まれた木々に対面すると、彼らのたくましさと自分の脆弱さが身に染みます。それを感じたくて僕は雪山に毎年入りたくなるのかもしれません。便利で快適な世界を作り上げてしまった里では感じ取ることが難しくなってしまったこの星の大切な摂理を感じるために。

 

 

このお方は、あまりにも雪がつきすぎて枝が下向きにた垂れさがってしまっています。もし、僕がこの環境に裸で過ごせと言われたら… はい、1時間ぐらいで即死です。笑

冬は山が眠るとよくいわれます。そう言われるようになったのは、中国の画家「郭熙」の山水訓がはじまりだったようです。その句を紹介したいと思います。

春山淡冶にして笑ふがごとく
夏山は蒼翠にして滴るが如し
秋山は明浄にして粧ふが如く
冬山は惨淡として眠るが如し

春は山が笑う。夏は山滴る。秋は山粧ふ。そして、冬は山が眠る。
ん〜、何とも素敵な表現ですね。特に春は山が笑うというセンスはめちゃくちゃ気に入ってしまいました。間違いなく今年はこのセリフ多用します。

 

早朝、霧氷がついたヒメシャラ

 

冬の語源は諸説あるようですが、その中の一つに「ふゆる(増ゆる・殖ゆる)」という言葉が元になったと言う説があります。山は本当に眠っているのでしょうか。年配の農家さんや庭師さんからたまに聞く言葉があります。

「冬至から立春の間は 土の中をいじらないほうがいい。土の中では春の準備をせっせとしているから。」

休息しているように感じる奥岳の木々たちは春や夏に向けて何かを黙々と「ふゆって」いるのでしょうか。毎年花を咲かせては登山者を喜ばせてくれる木々にとって冬とは、我慢しなければならない過酷な時間なのではなく、もしかするとなくてはならない大切な時間なのかもしれません。

きっと人間においても。

 

 

奥岳の夜に月が上がってきました。雲のない日は放射冷却で一気に気温が下がり、あたりは凍ついた風に死の香りが漂う何ともいえない静寂なおとぎの世界へと移り変わっていきます。

そんな、寒々しい山岳ですが、里ではヒカンザクラが咲き始め、スモモの芽が顔をだしはじめています。2月にはいると里や低山の新緑が楽しみになっていく屋久島。今年の立春は2月3日です。もうすぐですね。

山が今年はどんな風に笑い始めるのか楽しみでしょうがありませんっ!そして、出会った島の人や旅人さんと「いや〜山が笑いはじめたねえ」なんて言い合いながら春を共に謳歌できる時間も楽しみだなあ。

ではでは、屋久島の貴重な短い冬を引き続き楽しんでいきましょう!

 

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