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矢筈の神さまがキャッチするもの

屋久島は丸い島で少しでも沖に向かって泳ぎだすと、すぐそこは外洋。潮の流れが速いポイントは多々あり、一人で泳いでいるとかなりスリリングで、離れ小島だということを痛感させられる。

入り組んでいない屋久島海岸線で唯一と言っていいほど、北部の一湊集落にだけ突き出した岬がある。ここの海中は、びっくりするほど魚の種類が多くて、ダントツで多様な海の生態系を育んでいる。

 

 

矢筈岳を頂点に展開するこの岬があるお陰で、海中では地形が多様化し多くの環境要素が生まれるため、エッジ効果が働いて生きものの種類や個体数が多くなっているのかも知れない。

夏になると黒潮が屋久島を包み込んで、多くの魚が、多くの卵が、海流に乗って南の海からやってくる。引っかかりのないまんまるの島だから、多くの生きものたちはもしかするとほとんどが屋久島を通り過ぎてしまうのかもしれない。しかし、この岬は生きものたちをしっかりとキャッチして停留させている。そんなイメージを長年持ち続けている。

長旅をしてきた魚たちが根づきやすいユリカゴのような環境が整っているのが一湊の海だと、潜っていてつくづく思う。スノーケリングではなかなかわからないが、海底をはいつくばって徘徊していると、一湊の海の底力にいつも感動してしまう。他のエリアは一湊に比べると種が圧倒的に単調になってしまう。もちろん他のエリアでもこの季節はさまざまな生きものたちの赤ちゃんが観察できる。しかし、一湊と比べると数も種類も圧倒的に少ないように感じる。屋久島の海岸は、僕以外の生きものにとってもスリリングな世界なのかもしれない。

 

そして、見逃してならないのが、この岬が生きもの以外のものもキャッチするという現実だ。

 

矢筈神社前のゴミ

 

この岬の西側に矢筈嶽神社がある。この写真は、その神社のすぐ下の海岸を空撮したものだ。マイクロプラスチックをはじめ分解しない人工物による海洋汚染が深刻化し始めているという昨今、海の生きものたちがそれらを飲み込み死んでいく映像が続々と世界から配信されている。

 

2つの拮抗する情念が生まれてくる。

 

なんて汚い光景だ。これじゃあ。矢筈の神さまがあんまりだ。

 

さすが海の神さま。海洋のゴミを集めてくれてるんだ。

 

 

この神への拮抗する思いはやがて、対象が神から自分へと移りはじめると、どうしようもない自己嫌悪感が押し寄せてきてその場に立ち尽くしてしまう。この光景を生み出しているのは、海は楽しい!海が大好きだ!といいながら、日々の暮らしのなかで、直接的に、あるいは間接的に何気なく鼻歌まじりで排出している僕のゴミばかりじゃないか! 

 

生きものをキャッチし、人々のゴミをキャッチし、僕の心をもキャッチしてしまうこの岬は、ダイバーにとってはヒマラヤより壮大なスケールで海底からそそりたつ山塊だ。

多くの人にとって矢筈岳は可愛いピークで、麓は一湊海水浴場なのかもしれない。しかし、僕の頭の中では、麓はロクセンフエダイが群れている水深30mの世界。それより深いエリアは広大な砂地が広がっている砂漠地帯。砂漠に突如あらわれた山塊は、標高の低いエリアはサンゴの森に魚がひしめく無酸素エリア。ある一定高度に達すると酸素が突然供給されるゾーンへ。そして、高山に向かうに従って照葉樹林が繁茂していく。そんなファンタジーな山。そう、僕にとっては岬ではなく魅惑の山脈というイメージ。

 

そうだ、今日から岬ではなくて矢筈山脈と名付けて、生涯信仰し続け、遊び尽くそう!

 

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