障子尾根には12のピークを数えることができる。岩尾根の永田川側は急角度で数百mの障壁となって永田川源流ネマチのクボに高度を落とし、ことに前障子は標高差600mの一大スラブからなり、初期の開拓者である五高山岳部は、その会報『こだま』に「永田岳周辺の魅力は永田岳本峰にあらず、障子岳にある」といわしめたほどである。』 〜屋久島の山岳 太田五雄 より〜
屋久島にまつわる書物で、これほど僕に影響力を与えた文章は未だありません。なんて冒険心をくすぐる文字の構成なのでしょう。太田さんとは数分しか言葉を交わしたことがありませんが、確実に僕の人生を愉快に変えてくれました。自然を破壊しまくる人間の数少ない魅力をあげるならば、人は会わずしても、情熱を文字に乗せて伝播させ、他者の人生をも豊かにすることができる術をもっているということじゃないでしょうか。
僕にとって障子岳は天空の城ラピュタのようなもので、冒険心の中枢に存在している御山です。
写真左から前障子、中障子、大障子。これら3つをまとめて障子岳と呼んでいます。障子尾根ラストの峰、12峰です。写真ではわかりませんが、前障子は太田さんが言及している通り600mの落差で谷底から岩肌剥き出しでそそり立っています。初登頂は昭和30年に達成されています。
この日は隣の島、口永良部島がよく見えました。この天辺に立てたなら、さぞラピュタな世界を味わえるのでしょう。永田の集落もよく見えました。
谷底の永田川には、学生運動を彷彿させるような年代物のヘルメットが「京大」とスプレーされ、置き去りにされていました。
今も昔も、障子岳は冒険者にとって変わることのない聖地なのでしょう。