形容する言葉が見つかりません。
そんな時、僕らの先祖はその存在を「カミ」と名づけたのかもしれません。自然の中には言語で形容できない感動や造形美がたくさん存在しています。八百万の神々の由来はその存在の多さにあるのかなと、島の奥岳を歩いているとよくそう思います。
屋久島の山頂には宗教的な理由で下界から持ち込まれた石の祠がたくさんあります。がしかし、山頂に着くまでに、石や高山植物、太陽、ヒキガエル、川の水などなど、八百万回ぐらいお参りしながら登ってきているので、人工的な祠にはいっさいお参りする気になれません。
カミは創り出すものではない。いつもどこにでも存在しているものだと、山は無言で教えてくれる。里にも都会にも。